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修業論(内田 樹)

武道とは「他者と共生する技術」、
いかにすれば戦わないですむか?が目標という。
その境地が、『木鶏』であり、
『常在戦場』であり、
『啐啄同時』である。
武道の心得がある人は、
うんうんと頷く、
やらない人は置いてきぼりな前半。

そういう人は後半の『龍馬論』のみ読むといい。
いきなりヒーローとして登場する
「龍馬がゆく」をはじめとした、司馬遼太郎作品の主人公たち。
本来、剣術の修業で体験する「ブレイクスルー」を
あえて書かないことに疑問を投げかける。

修業論 (光文社新書)修業論 (光文社新書)
(2013/07/17)
内田 樹

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その答えは、司馬の戦争体験にある。
非合理主義のあふれた戦争での身体訓練が、
主人公たちの「修業嫌い」という
司馬の傾向につながったという意見。
(あれ、効いたことあるな~、とおもったら
内田ファンの武田鉄矢がTVで喋ってたんだ)

江戸末期の3大剣術道場の塾頭を、
維新の志士が占めたのも、
「必要な時になすべきことをなす」武道修行の成果であり、
維新の偉業も、「ブリコルール」(あるものを有効のつかう)の能力も
修業で身に着けた「危機を生き延びる力」だという。

道場での「稽古の時間」が「楽屋」で
生業(なりわい)としての「生活の場」が「舞台」
そして、日常の積み重ねこそが『修業』という内田師。

そういえば私も、「剣道の稽古の時が、
一番イキイキしてるね」って言われます。

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